トム・ソーヤーの冒険 (マーク・トウェイン(著) 大久保 康雄(翻訳)/新潮社)

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先日読んだ、「ディズニーランドという聖地」の中で、この本がいくらか紹介されていて、興味をもったので読んでみた。ちなみに少年のころに読んだわけではない。というか、少年のころはたいして読書などしていなかった。何をしていたかといえば、たぶんミニ四駆、ミニ四駆、ファミコン、ファミコン、山登り、といったところだろうか

ちなみにハックルベリイ・フィンの冒険も合わせていま読んでいるところである。

アメリカの原風景だといわれるこの作品。しかし、それはそうなのかもしれないが、すべての少年、もしくはかつては子供だったすべての大人の心の原風景ではないだろうかと思う。

子供ってこういう発想なんだよなあ、というくだりが随所にあって、なつかしくなると同時に、せつなくなる。

失われた少年時代。

小説から本文を引用することもないと思うのだが、ちょっとだけ付箋を貼った箇所をご紹介。

〜中略〜「あれが海賊のトム・ソーヤーだ!あれがカリブ海の恐怖の復習者だ!」と人々がささやくのを聞いたら、さだめし体がふるえるほどうれしいにちがいない。そうだ、これにかぎる。これでおれの人生はきまった。さっそく家を出て、海賊になろう。

「結婚なんて、これ以上ばかげたものはないぜ。うちの親父とおふくろを見ろ。しょっちゅう喧嘩ばかりしていやがった。おれは、よくおぼえているんだ。」

「そんなことは大丈夫だ。おれが結婚しようと思ってる女の子とは喧嘩なんかしないよ」

「トム、女の子は、みんな同じだぞ。みんな相手を引っ掻くぜ。もうすこし考えたほうがいいぜ〜中略〜」

引用終わり。

“さっそく家を出て、海賊になろう。”というくだりを読んだとき、なんともいえずじんとくるものがあった。短絡的といえばそれまでだが、この純粋なる勢い。やろうと思ったらすぐにやる。欲しいと思ったらすぐに欲しい。

そんな発想は、子供じみているといえばその通りだし、子供そのものだとさえいえる。しかし、それは本当に「大人が要らないもの」なのだろうか。

みんな、子供のころはそうだったはずだろう。しかし、いつの間にか、失ってしまう。ぼんやりと、ひとつも気がつかないうちに、いつの間にか無くなっている。

記事カテゴリー: 読書