アメリカ黒人の歴史 新版 (本田 創造/岩波書店)

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黒人の歴史とは奴隷の歴史である。いくら人類の起源がアフリカにあると言っても、少なくとも米国における黒人は、いまだ奴隷時代の亡霊に引きずり回されている。

黒人とは何か

黒人という概念は、日本でいう「穢多・非人」に似ている。それは本人の責によらない。そのように生まれついてしまった。ゆえに逃れようがない。

外見が白人と全く同じで、白人との区別がつかない黒人が、白人社会に白人として仲間入りして生活することを「パッシング」(passing)という。しかし、何かのきっかけで黒人の血の一滴でも混じっていることが判明すると、その瞬間からその人は黒人として白人社会から黒人社会へ追い返される

人間ではなくモノ

人をモノみたいに扱うという表現は、今でもある。しかしそれはあくまでも比喩である。しかし真面目な話、本当に人をモノみたいに扱う人間というのは、そもそも人間ではないのではなかろうか。

黒人は身分的にも、はっきりと奴隷、したがって所有者の財産として、たとえば「役畜、家財道具、皿、書物など」と同等にみなされることが、法律によって定められるようになった。

おまえは皿や本と同じ。紀元前とかいう話ではない。つい2、300年前のことだ。我々はまだ、人間になったばかり、あるいはまだ人間になる中途かもしれない。

終わらない身分制度

法律ならば、○年○月○日に施行されれば、一応はその通りになる。しかし、人間の頭はそんな杓子定規にはいかない。だから偏見も差別も終わらない

ある旧奴隷所有者の口からは、「解放令によって黒人奴隷は自由の身になったと宣言されても、黒ん坊(ニガー)はどっちみち奴隷みたいなものだ」という言葉が自然に飛び出し

古くて新しい問題

彼らはゼロではなくマイナスだった。だから加点して釣り合いを取る。それが昨今しばしば耳にするアファーマティヴ・アクションであるが、ゼロ地点に立っているような恵まれない白人からすれば、それが贔屓や優遇にも見える。

アファーマティヴ・アクションの語が法令上最初に用いられたのはケネディ大統領による大統領行政命令第一〇九二五号(一九六一年)で、その中で連邦政府と契約する企業においては、人種、信条、肌の色あるいは出身国にかかわりなく、求職者の雇用や待遇を保護するため、契約者は「アファーマティヴ・アクションを講じるものとする」ことが命じられている。

甘いか厳しいか

それでもやはり、黒人の歴史はあまりにも血にまみれている。ふつう、補償とは、ある被害者が受けた損失を回復することである。私が思うに、アファーマティヴ・アクションには補償のニュアンスがある。だとすれば、損失を補填し、回復することは正義となるのではなかろうか。もちろん、正義がすべてではないのだが。

暴徒たちは口々に「黒ん坊を学校から追放してジャングルへ追い返せ」などと叫び

一九五五年八月に、〜中略〜一四歳の黒人少年、エメット・ルイス・ティルが、雑貨店の主婦に「無礼にも」口笛を吹いて話しかけたというただそれだけのために惨殺され

ロス・R・バーネット知事〜中略〜は、「黒人は、われわれ白人とはちがう。神が、黒人を罰するために、かれらを白人とはちがう姿におつくりになったのだ」と公言

人間の業

黒人に対する暴虐の歴史は、単に白人の問題でも、アメリカ一国の問題でもない。むしろ人類全体の、人間の業と呼ぶべきものだろう。それは私の罪であり、あなたの罪であり、人間である限り逃れようのない罪なのだ。人間の救えなさが極端な形で先鋭化し、ごまかしようもなく露わになったのが、黒人問題だと考えるべきである。

かつて、黒人は「最初に首を切られ、最後に雇われる」“First fired, last hired.”と言われた

つい先月も、米ミネソタ州ミネアポリスでアフリカ系黒人のジョージ・フロイド(46)が警察に不当な扱いを受けて死亡した事件に端を発した暴動が起き、またたく間に全米に広がった。私の住むロサンゼルスでもその影響で、コロナ禍とは別に外出自粛令が出されるという有り様だった。「かつて」になる日はかくも遠い。

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