クルマが鉄道を滅ぼした―ビッグスリーの犯罪 (ブラッドフォード・C. スネル (著), Bradford C. Snell (原著), 安楽 知子 (翻訳), 冨田 修司 (翻訳), 戸田 清 (翻訳), 福冨 信義 (翻訳)/緑風出版)

書籍クルマが鉄道を滅ぼした―ビッグスリーの犯罪(ブラッドフォード・C. スネル (著), Bradford C. Snell (原著), 安楽 知子 (翻訳), 冨田 修司 (翻訳), 戸田 清 (翻訳), 福冨 信義 (翻訳)/緑風出版)」の表紙画像

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Hiroshi Watanabe(@Hiroshi99857672)さんの以下ツイートのコメント欄で本書について言及されており、これは是が非でも読むべきと思い手に取った。

昔教授宅で夕食を頂いた時に「何で米国は鉄道が発達しないんですかね?」と素朴に聞いたら、一呼吸おいて「しないんじゃない。させないんだ。鉄道は貧しい人が使う。便利な鉄道網があると郊外の裕福な街にも貧しい人がこれるようになる。これを嫌がる人がいるんだ」等と言っていて、米国は闇が深い。

単純にアメリカは車社会だから電車は皆無なのだと思っていたが、本書を読むと、それは明らかにアメリカの三大自動車メーカー、いわゆるビッグスリー(ゼネラル・モーターズ、フォード、クライスラー)、特にGMによって「作為的に築き上げられた環境」だったことがわかる。

自動車以外の旅客および貨物輸送の形態を抑制しようとする三大自動車メーカーの努力は、利潤の極大化と完璧に合致するものであった。1台のトロリーバスやバスは、35台の自動車にとって代わることができる。1台の市街電車、地下鉄、高速鉄道車は50台の乗用車にとって代わることができる。一編成の都市間鉄道列車は1000台の自動車や150台の貨物トラックの代わりができる。

南カリフォルニアほどこのGMのモータリゼーション計画による荒廃が顕著に現われているところはない。35年前のロサンゼルスは青々と茂った椰子の木や香り高いオレンジの果樹園があり、清々しい潮風の通る美しい街であった。そこでは世界でも最も広域に拡がる電車の交通網が整備されていた。1930年代の終わり頃、GMと高速道路関連資本の連合体はこの地域の交通会社を買収した。同社のもつ汚染のない電車をスクラップにし、電車の架線系統を解体し線路をはぎ取った。その時既に混雑を呈していたロサンゼルスの道路にGM製バスを配備したのである。騒音が大きく悪臭のするバスのせいで、高速鉄道を初期の頃から利用していた乗客も公共の交通機関から離れていった。事実それは数百万台の自家用車の販売につながった。

確かに、思い返せばロサンゼルスには、奇妙な廃線跡がいくつもあった。あれらはこういうことだったのかと感慨深いものがある。

鉄道を高速道路に転換させたことは移動性の減少をもたらし、高速の市内および都市間交通における重要な技術革新の可能性を妨げたのである。移動性の減少(交通渋滞)は、都市部でいっそう深刻なものとなっている。たとえば自動車に依存する都市部でのラッシュアワー時の平均速度は時速12マイルにすぎない。さまざまな研究によれば都市交通のスピードは1890年にはもっと早かったことがわかっている。さらに、米国の都市人口の20%(高齢者、子供、障害者、貧困者)は自動車へのアクセスを欠いており、十分な公共交通手段が存在しないために、雇用や教育機会、そしてその他の都市のアメニティから効果的に隔離されている。

暴力的な利潤の追求は、以下にあるように自動車業界に限ったことではない。まったく、昨今の地球規模の異常気象は、強欲な人間の人災でしかない。

コンチネンタル社は、1930年代の半ばからガラス瓶に対する販売戦争を積極的にしかけていた。当時のマーケティングの専門家たちは、ガラス瓶から金属缶への転換によってビール業界の中だけでも、300万ドルの容器ビジネスを900万ドルにすることができると試算していた。これはこの二つの競合する容器が再利用可能か否かの根本的な違いに基づいて試算された。すなわち、再利用可能なガラス瓶一本は再利用できない金属缶約25本の販売に匹敵する。

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