害虫の誕生—虫からみた日本史 (瀬戸口 明久/筑摩書房)

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いやいやブログを更新しろよと言われそうだが、広島行きの新幹線〜在来線の中で二冊ほど読み終わったのでまずはそれの記録をば。

とりあえず無職のぼくは午前中いっぱいは暇なので、ただいまよりお昼までに、読了本とブログと書き連ねます。ついでに泣きます。

はい、それではこの本。むちゃくちゃおもしろい。

コガネムシは金持ちだのコガネムシが実はゴキブリだったり、今では忌み嫌われているハエが明治あたりまでは他愛ないかわいい生き物とされていたなどなど、どのような経緯で人間にとって単なる虫から、排除すべき害虫になっていったかが豊富な引用によって解き明かされている。

というわけで以下、本文より引用。

江戸時代の人々がおこなたもう一つの宗教的な方法としては「駆虫札」がある。害虫除けを祈念したお札が普及しはじめたのは、江戸時代に入ってからのことらしい。人々は寺社から買い集めた駆虫札を田のなかに立て、それでやれることはやったと満足した。こうした駆虫札は明治に入ってからもきわめて一般的で、地方によっては1950年代まで残っていたことが記録されている。

明治初期の人々は、近代とは違った、彼ら自身の世界観をもとにコレラ流行に対応しようとしている。たとえばコレラの激甚な流行を受けたある村では、若者たちが藁人形をかついて、笛・太鼓・法螺などを打ち鳴らし、村はずれまで送り出す行事をおこなった。また別の村では、人々が「コレラを送れ隣村へ送れ」と叫びながら村内を練り歩いたという。まだ細菌概念を人々が持っていなかった明治初期、コレラ菌がしばしば「むし」と呼ばれたことを考えれば、当時の人々が虫送りと同じような方法でコレラに対処しようとしたのも不思議ではない。

ヒトジラミによって媒介される発疹チフス〜中略〜約8000の化学物質をシラミにまぶして殺虫力を検定した。ここでもっとも困難だったのは実験に用いるヒトジラミの調達である。まず警察の協力を得て町の浮浪者からシラミを大量に採取した。

引用終わり。

浮浪者を集めてシラミを採取するなんて、なんだかとてつもなく漫画的で牧歌的な感じがして平和でほのぼのしてしまう。が、実際にそこで働いた人たちは吐き気頭痛その他もろもろに苦しんだであろうことは想像に難くない。が、いや、このころはまだ服をばしばし叩いてシラミを落としてつぶす、なんて行為をみんな日常的にやっていたような気もするので、それほど苦ではなかったのかもしれない。

それはともかく非常に興味深いことだけは確かである。

まあ結局、害虫なんてものは存在せず、人間の都合と意識、文化においての害虫しか存在しないのだなあと、あらためて人間の脳みそというものを思う。

記事カテゴリー: 読書