わかる?現代アート (小笠原 年男/文芸社)

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芸術倉庫っていう単語で出てきて、あれ?あの那須の?って思ったらやっぱりそうだった。樋口とバスツアーで行ったことがあるのだが、あれはいったいいつのことだったが。

とにかくは、その芸術倉庫を立ち上げたのがこの筆者とのことである。しかしガンで死んでしまった、らしい。一度行ったことがあるだけだが、ああ、それは残念でした、と一応思う。芸術倉庫では、確かバーベキューをしたような気がする。なかなかよいところであった。

それはさておき、この人は熱烈な現代アートのコレクターというのが第一。ここまで熱いと、見初められたアーティストはさぞ幸福だろうなと思う。

現代アートは買わなきゃわからないと公言してはばからない筆者の物言いには、素直に好感が持てる。また、印象派などを悪いとはいわないが、現代アートにあるとんでもない興奮とは比較しようもないと切り捨てるスタンスも、これまた素直に首肯できる。

人は親も寿命も選べないが、この人が生きていたら、現代アート界に与える影響は小さくなかったんだろうなあと、ぼんやり思う。

以下引用。

私は、私の「芸術倉庫」のホームページで、次のことを主張している。

「どんなに地位が高くても、どんなに経済力があっても、どんなに美しい女性でも、先端芸術(現代アート)を真から理解しない限り、一流人とは言えない」と……。

日本の美術教育は45年遅れている。

日本のこれまでの美術教育は、45年前から変わっていない。〜中略〜何かというと有名なバッハ、ベートーベン、ルノアール、セザンヌ、シャガールで盛り上がっている。今までの美術教育は、他の学科を主としたら、従の立場に置かれている。これは情操、快楽のごとくきわめて放縦な、つまり遊びの範疇と考えられ、言うなれば、趣味の延長と捉えられている。

科学同様、実験と冒険を繰り返して生きる優れた芸術家を世に送り出すために、政治家は金は出すが、口は出さないというところにオトナのインテリジェンスが輝き、初めて先進国の仲間入りができることを二十一世紀の今、真剣に考える時ではないだろうか。それよりなにより文化省のない国も珍しい。文化省と軍隊がなくて、国の体をなすものなのか。

小林秀雄が言うように、歴史は軽く時代の年表を追うことではなく、百年前に子供を亡くした母の悲しみを、その時を思い起こして今思うことが歴史であり、伝統であり、文化であり、知性なのである。

「いんじゃん、これー、いいよ、これ買おう、イケウチくんのところの作品はみんないいなあ、俺、ここでしか作品買わないから」

身体の芯まで赤くなるようなホメ殺し。けれど、そこには世辞など微塵も感じられなかった。〜中略〜「おっ、イケウチくん、あのさ、俺さ、不治の病にかかっちゃってさ、今、癌センターから電話してんだけどさ」

ある春の朝、出勤途中のプラットフォームで受けたケータイ。〜中略〜「いやぁ、俺はね、がんばるよ、うん、イケウチくんもがんばってな」

どっちが病人だがわかない。いつも人を信じ、人をはげますのが、好きだった。

「あと半年の命らしいんだけどさ、俺はね、必ず戻るから、うん、そしたらさ、次の企画を頼むな、それじゃ、また」

私との最後の会話は、嘘のないシャチョウにたった一つつかれた嘘だった。

引用終わり。

最後のセンテンスは、レントゲンの池内さんによる後書きである。会ったことがあるだけに、ああ、あの人がなあ、そんなことがあったんだなあと思わずにはいられない。いい人だったんだろうなあと思う。そして、例によっていい人ほど早く逝くものなのだろう。

まったく、ぼくは長生きしそうである。関係ないけど。