記号論への招待 (池上 嘉彦/岩波書店)

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記号って、人間が人間であるための原初的なことじゃないかしら、なんて思って広島の古本屋で買った本。

というか、iPhoneのカメラが壊れたので、今後いつまでか不明ですが、画像がありません。わたくしとしても残念でなりません。

それにしても、広島は遠くになりにけり。あれはいったいなんの日々だったのであろうか。まあ、年末年始の休みに、この一年の徒然をつらつらと泣きながら書きたい。

以下本書より引用。

”A rose is a rose is a rose is a rose” (ばらはばらはばらはばらだ)というのは、ある詩人のよく知られた詩句である。この表現は事実上”rose”という同一語の反復により成り立っているが、「トートロジー」的なメッセージとは受け取られない。”rose”という「同じ」記号の繰り返しは、読む人の注意をその記号表現に――そしてそれを通して、その記号内容に――引き付ける。そして、繰り返して”rose”という記号が現れるごとに、読む人の意識を〈ばら〉のさまざまな側面に次々に引きつけていく。喚起されるイメージは、同じバラでも少しずつ違うわけである。言いかえれば、”rose”は出てくる度ごとに、ほとんど「異なる」記号として現れてくるのである。

「等価」項の反復のはずのものが、美的メッセージでは「非等価」項の反復に変じる。われわれが芭蕉の「松島や、ああ松島や、松島や」を絶唱として受け取る時にも、同じことが起こっているのであろう。批評家の好む言い方を借用するならば、「詩においては、ことばは二度と同じ意味で用いられない」ということである。

引用終わり。

「トートロジー(Tautology)とは、ある事柄を述べるのに、同義語[1]または類語[2]または同語[3]を反復させる修辞技法のこと。同義語反復、類語反復、同語反復と訳される。関連した概念に冗語があり、しばしば同じ意味で使われることもある。」(wikipediaより引用)だそうです。

記号、記号、記号。なるほどねえ、はぁーん、といった感じ。新宅、新宅、新宅。睦仁、睦仁、睦仁。

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