縄文探検 (小山 修三/くもん出版)

購入価格: 不明

評価:

この記事は約2分38秒で読めます

素直に良書と言っていい感じの本。さすが、くもん、恐るべし。

最近おもうのだが、本を一冊読んだからと言って、ぱたんと閉じたあと、覚えていることは少ない。呆れるほどに少ない。脳みそのどこかしらに収まっていて、なにかしらのタイミングで表出するのだと信じてはいるが、実際、そういうのってすごいあやしい。

頭は、それほどよくないんだよな、おれってばよ。というのが、最近の正直な自己評価である。いや、ちっとも人生をあきらめてはいないが——もちろん自殺のことはしょっちゅう考えるが、というか、さっきもふっと真剣に考えたが——ああ、無能だなと、けっこう、しみじみと思ったりする。

なので、アルツハイマー検査的に、真剣に本書を読み返さずに覚えていることを箇条書きしたい。

縄文時代は過剰に狩猟採集生活が発達した。狩猟採集生活には、動物の放牧などに明らかなように、人口密度に限界がある。しかし、あまりにも発達したために、人口過剰になってしまった。そのため、一時期の気候変動で、狩猟する動物が減少したときに一気に衰退した。

そのときに入ってきたのが弥生人と呼ばれる人々。多くはいまの日本国土以外の国々からの移民だと考えられる。弥生人は農耕民族であった。

縄文時代までは、圧倒的に東日本に人口がかたよっていて、日本全体の人口の八割は東日本に住んでいた。それは、狩猟採集民族としての生き方で、その地域に住んでいた。しかし、弥生人になってからは、すなわち米を育てる農耕民族になってからは逆に、温暖な西日本へ人口の大半が住まうようになった。

その過渡期があった。つまり、縄文人と弥生人という、まったく異質の文化、異質の種族との出会いである。縄文人はほりが深く、四角い顔つき。弥生人は、ほりが浅く、ほっそりとした平坦な容貌。

今でも日本各地に残る鬼の面は、だから、弥生人が縄文人に出会ったときの恐れや驚きが原型にあるのではないか。なるほど、鬼の面はたいてい、起伏に富んでいかつい顔つきをしている。弥生人がそれを敵だと、鬼だと思ったとしても不思議ではない。

って、素直に書き出したが、意外なほどけっこう覚えてるわ。やっぱ本は読むものだと思う。以上。さよなら、さよなら。

記事カテゴリー: 読書