絶後の記録—広島原子爆弾の手記 (小倉豊文/中公文庫)

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原爆資料館にて、思いあまって購入したご本。

軽症だと思っていたが実は原爆症で、そして結局悶死した妻にあてた手紙、という形式で書かれている。つまりごく軽い口語体。

その文体は、やさしくて、むなしくて、せつない。

意外だったのは、著者は最後の最後まで、原爆は絶対に悪だったとはいわないこと。読みようによっては、肯定的でさえある、ような。

もしかするとそれは、大学の教授という、この時代においてはインテリに違いない著者の、妻を奪われてなお冷徹な批評眼によるのかもしれない。日本、アメリカ、イギリス、アジア、その全体を見ての、原爆の是非。

以下本文より引用。

三日ぶりにはじめてその日の新聞を見た。今日神戸の方からきた学生がもってきた新聞だった。広島のこの現実は「大本営発表」という形で報ぜられ、「新型爆弾」という言葉をつかって〜中略〜「大本営発表」としたところに、軍部の狼狽が目に見えるような気がした。一地方都市の戦災が「大本営発表」となったことがこれまでにあったであろうか。

道路の四辻に、焼け残りの柱や板を縄でしばった縁日の植木屋の棚のようなものができていてね。それに種物屋の店頭のように小さな新聞紙の袋やおひねりが並べてあるのだ。そしてそれに住所姓名などが書いてある。遺骨なのだ。それも姓名のあるのはいい方で、「三十歳位の男」「四十歳の女」なんて札のついたのも少なくなかったよ。こんなのは最後まで引取人のないのが多かっただろうが、中にはたずねあぐんだあげく、遭難場所を推定して、こうして遺骨を貰って帰った遺族が、俺の知ってる中にも何人かある。

お前も知っているとおり、学校も官庁も会社も工場も、一般国民の家庭生活に至るまで、随分無理無体に「軍人精神」を強要され、万事兵隊さんの真似をさせられたが、原子爆弾の一発は、瞬間にほんとの兵隊さんを「人間」にし、「軍人精神」を「人間精神」にしてしまったといえよう。〜中略〜大体「軍人精神」に対して原子爆弾があまりに強力すぎたのだ。

日本の無条件降伏の報を聞いて、イギリスのバーナード・ショウが、「最初の原子爆弾が投下されたとき戦争が終わった。しかし今後においてこのようなものを投下する権利がわれわれにあるかどうかは非常に疑問だ」と語った〜中略〜日本人が今度の戦争の指導者の存在を許し、それに忍従していたのは、誰の罪でもない、日本人自身の罪だよ。従って、「このようなものを投下」されたのは、俺たち日本人自身の贖罪なのだよ。ショウが「非常に疑問だ」といったのは、彼一流の皮肉でなければ、彼がイギリス人であって日本人でなかったから。人類は、ことに日本人はもっともっと賢明にならねばならない。そうしたら「このようなものを投下する権利」も義務もなくなるであろう。

引用終わり。

原爆に関するいろいろは、妙に強く、ほとんど脅迫的に、人間とは何か? という問いを突きつけてくる。

誰の骨かもわからないものを、きっとあの人の骨だろうと思って持ち帰ったりするその心。それこそ、人間でもなければそんなナンセンスな行為はしないだろう。

ナンセンス。とんでもないナンセンス。原爆を落とすのも、落とされるのも、とりあえずナンセンス。人間の存在そのものがナンセンス。って、適当に書き連ねただけだけだが、ちょっと考えるのが疲れるくらいナンセンス。

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