パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 (エーリッヒ ショイルマン (著), Erich Scheurmann (著), 岡崎 照男 (著), 和田 誠 (著), ツイアビ (著), Tuiavii (著)/立風書房)

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パパラギ——とても不思議な響きを持った言葉だ。サモア語で、空を打ち破ってきた人、という意味だという。響きだけでなく、意味も不思議である。

それは、こうなのである。その昔、帆船に乗った宣教師がヨーロッパ人としてはじめてサモアにやって来た。サモア人は遠くからその白い帆を見て、空にあいた穴だと思い、その穴を通ってヨーロッパ人がサモアの島々にやってくると信じた。パパラギとは「空を破って現れた人」——ヨーロッパ人のことなのである。

以上がパパラギという単語の説明である。

今まで読んだことがない、不思議な本である。読んでどうこうというわけではない、すぐに消化してなにか行動を起こそうとさせるわけでもない、もっと言えば何の役にも立たないような本なのだが、確実に突き刺さるものがある。

普通と思っていること、当たり前と思っている環境、そうすべきだとばかり思っている生き方。

そういった、考える必要もないと思われるような現代人としての土台が、静かに、しかし確実に揺すぶられる。

以下、その揺すぶられた箇所を抜粋。

ぴかぴかの光る丸い形の金属か、大きい重たい紙を渡してみるがよい——とたんに目は輝き、唇からはたっぷりよだれが垂れる。お金が彼の愛であり、金こそ彼の神様である。

ある人がお金をたくさん、普通の人よりはるかにたくさん持っていて、そのお金を使えば、百人、いや千人がつらい仕事をしなくても済むとする。——だが、彼は一銭もやらない。〜中略〜「そんなにたくさんのお金をどうするんです?着たり、餓えや渇きをしずめるほか、この世であなたに何ができますか?」答えは何もない。あるいは彼は言うかもしれぬ。「もっとお金が欲しい。もっともっと、もっとたくさん……」やがておまえにもわかるだろう。お金が彼を病気にしたことが。彼はお金にとりつかれていることが。

たとえ小屋の天井の一番高いところまで、あふれるほどの食物があり、彼とアイガ(家族)が一年食べても食べきれないほどでも、食べるに物なく飢えて青ざめた人を探しに行こうとはしない。しかもたくさんのパパラギが飢えて青ざめて、そこにいるのに。

熟したヤシは、自然に葉を落とし実を落とす。パパラギは、葉も実も落とすまいとするヤシの木のように生きている。「これはおれのものだ!取っちゃいけない!食べちゃいけない!」——どうすれば、ヤシは新しい実を結ぶか。ヤシはパパラギよりずっと賢い。

どのパパラギも職業というものを持っている。職業というのが何か、説明するのは難しい。喜び勇んでしなくちゃならないが、たいていちっともやりたくない何か、それが職業というもののようである。

職業を持つとは、いつでもひとつのこと、同じことをくり返すという意味である。目をつぶっていても、また緊張なしでもできるまで何回もそれを繰り返す。たとえば私が自分で小屋を作るとか、むしろを編むほか、何にも仕事をしないとする。——すると私の職業は小屋作り、あるいは、むしろ編みということになる。

抜粋終わり。

とりわけ最後の、職業についての記述には考えさせられた。

確かに、ひとつのことをし続けるというのは、そうとうに不自然なことなのかもしれない。

道路も掘れば、野菜もつくり、絵も描き、人の弁護や、街の警備もしたりする。

いろんな、あらゆることができる肉体と頭脳を持ちながら、基本的には生涯にひとつのことをやり続ける。

この社会の中では当たり前であり正解なのだろうけれど、人間という生き物としては、いったいそれはどういうことなのだろう。

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