詩のこころを読む (茨木 のり子/岩波書店)

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詩は嫌いでもないが、好きでもない。興味があるかと問われれば、まあ、「ある」とは答える。しかし、それはきっと何者かぶりたいだけ、芸術家を気取りたいだけだろうと思う。

本書は読書感想文の執筆依頼を受けて作成された記事です。
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依頼受付日: 2020/09/21 – 読了・記事公開日: 2020/09/27

なぜポエムは馬鹿にされるのか

ポエマーという言葉がある。Weblio辞書によると、『聞いていて恥ずかしくなるような詩的な表現を頻繁に使用する人を意味する語。』だそうである。
参照: Weblio辞書「ポエマー」

空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする

『六十二のソネット』

おそらく詩人と呼ばれる人の中では1、2を争う知名度の谷川俊太郎氏の詩である。我々のイメージするポエムとはまさにこの種のものだろう。

こんな詩を人前で詠った日には、「あ、そう。帰れば? 知らんけど。」と嗤われるのがオチである。

歌心とは何か

歌心というものは、アートおける感性に似ている。それがあるかないかで、感動できたりできなかったりする。一般にそのように思われているが、本当だろうか。

感性は天性のものだと信じられている。だから、それを持つ者は貴族に生まれついたかのようにキザっぽく、逆に持たない者、持つ気もない者は、感性でメシが食えるかと切り捨て反目する。

しかし、本当に素晴らしい芸術作品は、そういう断絶、ポエマーと呼ぶ側と呼ばれる側の間に横たわる深い溝を、かろやかに飛び越える力があるものではないだろうか。

便所掃除
濱口國雄
扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明けの空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります
どうして落着いてしてくれないのでしょう
けつの穴でも曲がっているのでしょう
それともよっぽどあわてたのでしょう
おこったところで美しくなりません
美しくするのが僕らの務めです
美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう
くちびるを嚙みしめ 戸のさんに足をかけます
静かに水を流します
ババ糞に おそるおそる箒をあてます
ポトン ポトン 便壺に落ちます
ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します
心臓 爪の先までくさくします 落とすたびに糞がはね上がって弱ります
かわいた糞はなかなかとれません
たわしに砂をつけます
手を突き入れて磨きます
汚水が顔にかかります
くちびるにもつきます
そんな事にかまっていられません
ゴリゴリ美しくするのが目的です
その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
大きな性器も落します
朝風が壺から顔をなぜ上げます
心も糞になれて来ます
水を流します
心に しみた臭みを流すほど 流します
雑巾でふきます
キンカクシのうらまで丁寧にふきます
社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます
もう一度水をかけます
雑巾で仕上げをいたします
クレゾール液をまきます
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
静かな うれしい気持ですわっています
朝の光が便器に反射します
クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします
便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません

『濱口國雄詩集』 

私はこれを読んで感嘆した。これこそ詩だと思った。真のポエムは痒くもなければ痛くもない。

たぶん、これを初めて読んだあなたも同じ気持ちだと思うのだが、どうだろう。

主義主張としての詩

古今東西、主義主張を詰め込む都合のいいハコとして、アートは利用されてきた

ソビエト連邦などにおいては社会主義リアリズムという社会主義を称賛する道具として使われていたし、日本では藤田嗣治らの描いた戦争画が国威発揚に利用されていたのはよく知られるところである。

しかし現代、もはや絵に情報伝達としてのリアリティはない。だから今の我々が戦争画を見てもピンと来ない。あの程度のグロ画像など、ちょっと検索すればいくらでも見られる。それでなぜ公開が制限されているのか、感覚的にはもう、よく意味がわからない。

住所とギョウザ
岩田宏
大森区馬込町東四ノ三〇
大森区馬込町東四ノ三〇
二度でも三度でも
腕章はめたおとなに答えた
迷子のおれ ちっちゃなつぶ
夕日が消えるすこし前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りて行った
ほそい目で はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君おれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や帆前船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんな叫んだ
くさい くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
くさい くさい 朝鮮 くさい
今それを思いだすたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駈けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!

『岩田宏詩集』

私はすっかり忘れていた。アートは今でも十二分に主義主張を詰め込めるハコだったことを、この詩を読むまでは。

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