男らしさの終焉 (グレイソン・ペリー (著), 小磯洋光 (翻訳) /フィルムアート社)

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私はジェンダー論が苦手だ。なぜなら面倒くさいから。男は男らしくすればいいのだし、女は女らしくしとけばいい。私はそういう現代美術家らしからぬ前時代的な思想の持ち主なのだ。

しかしもはや、ジェンダーについて避けては通れないと感じ始めていた。無知は罪である。本書もそんな危機感から手にとったものである。

特に、著者がアーティストで、世界でも最高峰の現代美術賞であるターナー賞の受賞者とくれば、もう読むしかないという気にさせられた。

男性という武器

最近になって気がついた。私は男性であるという武器を持っていることを。

「白人」「ミドルクラス」「ヘテロセクシャル」という各要素によって、昔から自分のウェイトよりはるかに上の階級で戦うことのできる集団でいられたのだ。このアイデンティティをすっきり表せる名前はないものか。〜中略〜私は「デフォルトマン(default man)」と名付けることにした。「デフォルト(default)」という語が気に入っている。というのも、その語には「積極的に選択を行わなかった結果」という意味もあるだけでなく、類義語に「責務不履行」と「言い逃れ」があり、件のグループにぴったりだと思える

男であることは、なんのメリットでもない。そう思う人は、こんな条件の人を考えてみてほしい。黒人で、女性で、少数民族で、ムスリム。その人生は、先のデフォルトマンと同じ難易度だろうか。

ちなみにヘテロセクシャルとは、異性を性的対象とする人で、一般的にノーマルとされる人のことである。

男性の目指す男性≠女性の求める男性

原初的な男性の行動原理は、母親に褒められることである。それが長じるに連れて、母親は恋人に、妻へと置き換わる。

男性はリーダーだと思われることを好むが、今の女性にとって、そういう考えは最もどうでもいいものである。男性がフェミニストになりたいならば、ジャーナリストのヘレン・ルイスが『ガーディアン』紙に書いた記事を読むべきだ──「簡単だ、モップを手に取ればいい」

ズレている。男性が憧れ、かっこいいと感じる男性像は、女性の求めるそれとは明らかに隔たりがある。褒められたいのなら、承認されたいのなら、そのイメージを修正するしかない。

股間でモノを考える

男性には多かれ少なかれそういうところがある。全然ないという人は、ラッキーな人だ。人間の一生には「金、名誉、女」と、人生を転覆させる大きな三つの要素があるが、その一つがハナからないのである。タバコを吸う吸わないの比ではなく、誇っていいことだ。羨ましい。

ペニスは私たちのものであると当時に、私たちのものではない。特に思春期になると、それ自体に命が宿るようになる。少しでも挑発すると恥ずかしい角度に突き立つのだ。〜中略〜多くの男性にとって、セックスとは礼儀正しさの下で沸き立つものである。コメディアンのフィル・ジュピタスはマスターベーションを「男のスクリーンセーバー」と表現している。男性は何かに集中していないとき、脳がスリープモードに入り、セックスが意識に入り込んでくる。

あまりにも的を得た表現で、唸るどころかうなだれてしまった。世の中には、タバコを吸って気分転換をするようにオナニーをする人もいるらしい。まさに暇になったら立ち上がる、スクリーンセーバーである。

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