死ぬ瞬間—死とその過程について (エリザベス キューブラー・ロス (著), 鈴木 晶 (翻訳)/中央公論新社)

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いま現在、わたしが関心を持っているのはアートと死。それから娼婦。

なので、死についての本もばらばらと買い集め、ぼりぼりとむさぼり読んでいる。

え?死にたいのかって? うん。死にたい。

ちょっと前までは古本屋で適当に買い求めていたが、最近ではほぼ100%アマゾンで買っている。そして、暴力的に郵便ポストに購入書籍が突っ込まれている。

これでいいのか? と、思わなくもない。しかし、いちいち見て歩く時間がもったいないような気も、すいません、している。

それほど、というか、全然、忙しくもないのだが、いや、たんに出不精。まあ、それはいいから、この本の話を書けよ。

以下本書より引用。

過去を振り返り、昔の文化や人間を研究してみて驚くのは、死はこれまで人間にとって忌むべきことであり、今後もつねにそうありつづけるだろうということである。〜中略〜私たちは無意識のうちに「自分にかぎって死ぬことは絶対にありえない」という基本認識をもっているからだ。

悲しみにはつねにある程度の怒りが含まれている。

「人びと」は残酷だが、「ひと」は優しい。

(タゴール/「迷える小鳥」/217節)

「われわれは、太陽をずっと見続けていることができないのと同じように、ずっと死を直視していることもできない」

三歳から五歳の子どもにとっては死とは永久的なものではない。〜中略〜五歳以降は死を擬人化し、人を連れ去るお化けだと考える。〜中略〜九歳から十歳ごろになると、現実的な概念があらわれる。つまり、死を永久的な生物的過程だと考えるようになる。

うーん、初めのうちはなんだかよくわからなかったけど、そのうち、病気になったのは神の意思なんだという気がしてきました。だって、突然だったんですもの。それまで一度も病気にかかったことなんてなかったのに。病気になったのは神の意思で、神にこの身をお預けするのだから、心配することない、そう思いました。それからはずっとそう考えてきたし、だからこそ今まで生きてこられたんだと思います。

引用終わり。

本書には載っていなかったが、「太陽も死も直視できない」と言ったのは、ラ・ロシュフーコーという人らしい。なんか、薀蓄たれるのによさそうだから覚えておこう。

閑話休題。

日本人。31歳。無宗教。男性。の、素直な感想として、この本を通読して思うのは、神という概念の、恐ろしいまでの自然なあり方である。

なにかといえば、神が出てくる。神と人間が、まさしく”つがい”のようである。

神の意思だから、という論理(これを論理とは到底呼べない、と思うのは日本人無宗教のクソ野朗だからであろうか)が、これほどまでに説得力を持てるものなのか。心の支えとして、こうも機能するものなのか。わたしとしては、ただただその点に驚嘆する。

あれも、これも、神様の、神様の、御意志。わたしはただ、ひれ伏せる。

それで納得できるなら、それでいい。そんな楽なことはないと思う。そして、宗教にあこがれてしまう。

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