日本人の死に時—そんなに長生きしたいですか (久坂部 羊/幻冬舎 )

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わたしのバイブルにもなろうかという良書である。

しかし、日々をから騒ぎ、遠く遠く死を追いやってごまかして生きている人々にとっては、きっと本書の内容は重く苦しいだろう。

この後にアップするが、「自死という生き方」と合わせて読んでいただきたい。

阿呆でなければわかりやすく開眼し、生き方が変わること必至である。

以下、本書より引用。

アンチエイジングという言葉を聞くと、ひねくれ者の私などは、ついパロディとして、アンチサンライジングとか、アンチレイニングとかいう言葉を考えてしまいます。止めようと思っても太陽は昇るし、いやだといっても雨は降る。老化も止めることなんかできないよと、皮肉な気持ちになるのです。

孤独が好きという人は、たいてい人づき合いが苦手なのを、そう言い換えているだけです。だから他人とはつき合いたくないけれど、気心の知れた人にはそばにいてほしい。

今は、若さ、強さ、美しさなどが価値になっているので、老いればそれだけ価値を失います。だから、老人は若者の価値を追いかけようとする。アンチエイジングなどはその典型です。この状況では、構造的に若者が優位に立ってしまいます。若者が自然に手に入れているものを、年長者は必死に追い求めなければならないのですから。そういう老人に、威厳などあろうはずがありません。若者に敬えと言っても無理です。

「時間というものは、有効に使おうと思えば思うほど、足りなくなる」
「時間は、無駄にしてもいいと思った瞬間、ゆったりと流れ出す」

死が避けられない状態になってから、少しでも長くとあがくのは、手遅れだと私は思います。そうなる前に時間は十分にあったはずです。元気なあいだに思い切り努力し、考え、楽しみ、生きておくべきです。

引用終わり。

最後の引用、まったくその通り。「そうなる前に時間は十分にあったはず」。

しかし人は気づけない。いや、気づこうとしない。次に書く自死という生き方に書いてあったが、ほとんどの人々は(自分も含めてだが)、自分の人生を”仮想無限”だと思っている。

意識的にしろ、無意識的にしろ、漠然とこの日々が続いていくような気がしている。たぶんそれは、人間が快適に日々を送るための防衛本能的なものなのだろう。しかし、当たり前だがそんなわけはないのだ。だから、可能な限り死について考える。メメント・モリ、死を思え、である。

どうしようもなく難しいけれども、明日死んでも後悔しない毎日を生きるべきだ。

またねとか、今度とか、そういう言葉は嫌いだ。父がよく言っていて、確かにそう思う言葉がある。「今度は嘘になる」。

刹那的とかではなくて、どう考えたって今がすべてだと思う。やりたいことがあるなら、今すぐにやるんだよ。

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