働かないアリに意義がある (長谷川 英祐/(メディアファクトリー新書) )

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これまたツイッターで紹介されていてアマゾンで適当に買った本。

そうか、働かないアリにも意義があったのか、という本。基本的に働きたくないぼくとしては、アリはもちろん、働かない人間にも意義があるのは当たり前だろうという気もするが。

はい、以下本文より引用。

あるワーカーが生まれた場合、はじめのうちはできるだけ安全な仕事をしてもらい、余命が少なくなったら危険な仕事に「異動」してもらうことが、労働力を無駄なく使う目的に叶うことになります。つまり、年寄りは余命が短いから死んでも損が少ない、というわけです。

あるハエのオスは、メスと交尾するときに精子と一緒に毒を注入しメスを弱らせます。ヒトの倫理からすれば、即逮捕ですが、余命が少なくなったハエのメスは、いまもっているすべてのエネルギーを産卵に費やすため、そのオスの受精卵をたくさん生んでくれます。オスにとって毒を入れることは得なのです。

かつてある高名な生物学者が「ダーウィンの進化論が出た段階で進化生物学者のやることは終わっている」と述べるのを聞いて、強い違和感を覚えたことを思い出します。生き物はとても多様であり、その生きる環境も様々ですから、「どのような進化が起こっているのか、完全にわかった」などという態度は、思いあがりであるように私にも思えたのです。

生物は基本的に無駄をなくし、機能的になるように自然選択を受けていますから、無駄を愛することこそがヒトという生物を人間たらしめているといえるのではないでしょうか。

以上。

若い人間は安全に働き、年寄りは危険な労働、いわば捨て駒にするという考え方に、じいさんの口癖を思い出した。

ぼくは子供のころから祖父と祖母との同居であった。で、物心ついたころから、じいさんがニュースで死亡事故や殺人事件を見るたびに言っていたことがある。

問題は、とにかくは死んでしまった人間のその年齢についてであった。

じいさんは、高齢のときは「年寄りならええ」と言って笑い、幼い場合は「まだこまいのに、かわいそうじゃ」と嘆くのであった。

ぼくは、このことを、今でも真理だと思っている。

なんでもかんでも、生きていることが絶対的な善でもないし、すべての生命が同じ価値を持っているとも思わないのである。

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