横尾流現代美術―私の謎を解き明かす (横尾 忠則/平凡社)

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宮本三郎記念デッサン大賞展の審査員だったので、勝手に親近感を持っている私である。

と言っても、それよりも前に買っていた本だが。

しかし、こういう考え方の人が、自分の絵を見たんだなー、どう思ったんだろうなー、と思いながら読むと、やはり自然と興味は増してくるものである。

以下、本書より引用。

だいたい内面を表現するなんて暗いものですよ。僕は、絵画が内面を対象にするのは間違っていると、今はそう思っていますね。

美術に対してほとんどのデザイナーがコンプレックスを持っていて、逆に自分たちは芸術家じゃない、だけど芸術以上に新しいことをやっているという、逆説的な妙な自負心を持っていましたね。

ポップアートは思想だからね、技術じゃなくて。だから日本のデザイナーたちに影響を与えにくかったし、また受けにくかったんじゃないかしら。あの思想の影響を受ければ、ポップアーティストになる他はなかったわけです。

(ウォーホルについて)
軽薄の裏に孤独と死があった。それが彼の作品を芸術にしているんです。デザインの中には、この孤独と死というのがないんですよ。デザインの世界が最も忌み嫌っているのがそういうものですから。デザインとアートの違いはそこだなと思いましたね。

前にカナダの美術館の人が取材に来て、「何で滝なんですか」と聞くので、「夢で見たから」といったとたん、メモを取っていた手を止めちゃいましたもん。夢ですか。そんなのだったら取材する必要はないといわんばかりにね。無意識は意識じゃないと思っているから。

引用終わり。

最後の引用文は特に興味深い。コンセプトは「意識的に作るもので”なければならない”」、という。

少なくとも、それが世界のスタンダードだということだろう。

というか、ぼくの頭の中では、本人像が楳図かずおとかぶってしまっている。いや、池田満寿夫もかぶっている。いや、もっと、林家ぺーも混ざっている。いやいやいやいや、よく考えれば高木ブーも混ざっている。

みんな、似ていると言えば、似ている気がする。いや、髪型だけかもしれない。髪しか見ていない。