他人ゴトの仕事・自分ゴトの仕事

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今まで、賃労働においてはすべてが他人ゴトだった。なぜなら、いくら頑張っても、頑張らなくても、基本的に給料は変わらないからだ。

ただ、日々8時間という時間を適当にやり過ごすこと。それが私にとっての仕事だった。だから、面倒なことはやらない。難しい、時間がかかる、あるいはできそうもないと言って、外注その他にエスカレーションする。それが私の仕事のやり方だった。

自分のコトとして働くこと

これから独立して、フリーランスとして働くなら、そんなことは言っていられない。あらゆる問題を自分で処理し、解決しなければならない。安易に仕事をどこかに回そうものなら、自分の取り分が無くなる。それは死活問題だ。つまり、仕事が「自分のコト」として、「自分の責任」として、リアルになる。

責任が嫌いなわけじゃない

責任を負うこと、責任を取ることを嫌う人は少なくない。しかし案外に私は、責任というやつが嫌いではない気がする。この仕事は、他の誰でもない私がやらなければならない。そう思うと、意地でもやり遂げようというモチベーションが湧いてくる。どうして、私にとって、そのモチベーションの源泉は直接的なお金というわけではないらしいことが、嬉しい。金銭ではなく、もっと、人間にとっての労働の根本的な喜び、などと言ったら大げさだろうか。

自分のコトしかやりたくない

会社員の生活とは、基本的には他人が持ってきた仕事をうまく処理することにある。別に私がやらなくても、他に誰かいる。だから、はっきり言えば適当に「受け流し」た方が、労働に対する報酬としては割がよくなる。だからなるべく自分は手をかけず、誰かにやらせるように仕向ける。それを処世術と呼ぶのもやぶさかではない。ただし、そのような生き方は、お金こそ得られるが、非常に無味乾燥で、つまらない。

やりたいコトしかやりたくない

自分のコトとして働くことは、自分が主体的に働くことである。誰に指図されるわけでもなく、自分がそうしたいと感じて、思って、考えて、実行する。こう言うと高邁な理想を掲げるようだが、実は子供にとっての遊びがもう、このステップを見事になぞっている。誰でもみな生まれた時分から、自分のやりたいコトしかやらない、やれないようにできている。

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